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こんにちは、Yama♂です。
まずは先週、ブログの更新をお休みさせていただいたことをお詫びさせてください。
季節の変わり目、体調を崩してしまい、なかなか思うように動けない数日間が続きました。
でも、そんなときにふと思ったのです。
東京での日々はいつも動き続けていて、止まることにどこか罪悪感すら感じてしまうような、そんな環境の中で生きていることを。
でも、立ち止まって見えてくるものも、きっとある──
そんな想いを抱きながら過ごした一週間でした。
静養していたある日、家族からLINEで届いた1枚の写真。
それは、新潟県・南魚沼市の自宅の庭に咲いた桜の写真でした。
この桜は、もう何十年も前に、祖父が植えてくれたもの。
冬は2メートル以上の雪に覆われる庭の一角で、春になると必ずその枝いっぱいに花を咲かせてくれる、我が家の“春の証”です。
東京にいると、桜は3月の終わりに散ってしまうけれど、南魚沼はまだ冬の名残がある4月末にようやく満開になる。
この“季節の時差”が、ふるさとと自分を結ぶ線を引いてくれるようで、どこか嬉しいのです。
東京での春は軽やかで、さらっとした風に桜が舞うようなイメージがあります。
でも、南魚沼の春はちょっと違う。重く、深く、じわじわとやってくる。
冬が厳しい分、春の訪れは本当にドラマチックです。
道端にふきのとうが顔を出し、山肌がほんのり緑に色づいていく様子は、命が目覚めていく瞬間を目撃しているような気持ちになります。
その中で咲く桜は、ただ「きれい」なだけじゃない。
「今年もここで生きてるよ」っていう、そんなメッセージのようにも感じるのです。
体調を崩して一歩立ち止まったことで、「休むこと」「感じること」の大切さを改めて実感しました。
東京にいると、常に誰かが前を走っていて、追いかけなきゃって気持ちに駆られます。
情報も人も流れが早くて、うっかりすると「自分のリズム」がわからなくなってしまう。
でも、ふるさとから届いた1枚の桜の写真が、そんな僕に「少し休んでもいいんだよ」と語りかけてくれた気がしました。
都会と田舎。
早いと遅い。
騒がしさと静けさ。
どちらが正しいとか、良い悪いじゃない。
この両方を行き来できる自分だからこそ伝えられることがあると思うのです。
これからも、ふるさとの空気や東京での刺激的な日々を織り交ぜながら、読んでくれる皆さんの心にも、何か小さな灯がともるような記事を書いていきたいと思います。
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💬 コメントであなたの春の思い出もぜひ教えてください。
また来週も元気にお届けします✨
Yama♂