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Aloha! 水曜日担当のKEIKOです。今年は佐世保空襲から80年です。
造船の街・佐世保が狙われた理由
長崎県佐世保市は、かつて日本海軍の重要な拠点として栄えた港町。佐世保海軍工廠(こうしょう)は、戦艦や潜水艦などの建造・修理を行う日本有数の造船施設でした。この戦略的重要性から、第二次世界大戦末期、佐世保は米軍の標的となったのです。
1945年6月29日 未明の惨劇
1945年6月29日、佐世保の空が暗闇に包まれる中、B-29爆撃機が来襲。無差別の焼夷弾攻撃により、市街地は瞬く間に炎に包まれました。とくに市の中心部は壊滅的な被害を受け、街並みは焼き尽くされ、多くの尊い命が奪われました。この空襲で亡くなった人々はおよそ1,200人とも言われ、戦争の悲惨さを物語っています。
焼け野原からの復興
戦後、佐世保は焦土と化した街を懸命に復興させました。米軍基地の設置や港湾都市としての再整備が進められ、今では観光地としても多くの人々を迎える活気ある街となりました。しかし、平和の礎には、あの日犠牲になった多くの命があることを、私たちは忘れてはなりません。
平和への願いを次世代へ
現在も佐世保市内には、空襲の痕跡や慰霊碑が静かに佇んでいます。毎年6月には、平和への祈りを込めた追悼式が開かれ、語り部の方々が体験を伝え続けています。
過去を学ぶことは、未来を守ることにつながります。戦争を知らない世代が増える今だからこそ、佐世保空襲の記憶を風化させず、平和の尊さを語り継いでいくことが大切です。
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