MARC PANTHER

Globe-Trotters Journal

断捨離の断は決断の断

 

お皿を捨てることがどうにもできなくて、
なのに新しいのを買うから食器棚がぎゅうぎゅうで、
例えるならテトリス界の満員電車みたいな食器棚を使ってるみゅんです。こんにちは(。・ω・)ノ゙
 

ってこんな話前にも書いたなー、、とおもったらあれだった、洋服の断捨離の話。
断捨離じゃないか、捨てれてないからw
 

そうなんです、洋服もお皿もどーにも決定的にダメにならないと捨てれないんですよねえ。
洋服はまだいいんです。
穴が開くとか落ちない汚れがついたとか裾がヨレヨレになるとか、「捨て」の合図が複数あるから。
お皿に至っては「割れないと」捨てれないんですね。
 

そしてお皿といえばの不思議があるんだけど、
いいお皿、気に入ってるお皿ばかり割れて
100均で買ったやつとかなんかのノベルティでもらったやつとかよくわからんけどずっと家にあるやつとか、
あれらのじょうぶなこと…おかしくないですか??
あの方たち、ちょっとやそっとぶつけたくらいでは割れませんよね…
なんなら落としても割れなかったりする。
強化ガラス?とかなのかな?知らんけど。
ちょっと長生きしすぎなんです。
いいことなんですけど。
けど。けど。…ねえ?
 

割りたいから(それもひどい)なるべくいらないお皿から積極的に使ったりしちゃうもんだから、だんだんと自分の好きなお皿は奥へ奥へとしまいこまれちゃったりして、、
 

この調子じゃあ好きなお皿が日の目を見るのは自分がこの世からいなくなってからかもしれません。
そんでその頃に孫とかに、「なんか知らんけどいつのまにかあった皿」扱いされてしまうんですね…
 

悲しい。
悲しすぎる。
せっかく気に入って(しかも自分的には高いものだったりする)
自分で選んで買ったとっておきのお皿なのに。
使わなきゃ、使っていかなきゃだめだよな。
お皿にも申し訳ない。
命短し恋せよ乙女、
じゃなくて、命短し使えよお皿。
この場合命が短いのは自分ね。
 

もったいないと思う心は日本人の美学でもあるけれど、
あんまりケチケチしすぎてると
人生の大切な部分を失っちゃう気がする。
 

ひとりひとり自分の入れ物みたいなものがあって、そこに自分の考え方や生き方、趣味や友人や普段使っているものまでなんでもかんでも自分のすべてをぎゅっと押し込めたのがあるとして、
それが人生ってやつなら、そしてそこの許容量(愛でられる量)に限りがあるのなら、そこに気に入ってないものは極力入れたくないな、と思います。
好きなものでいっぱいにしたい。よね。
 
 

捨てよ。お皿。
 
 

と改めて決意した初秋のみゅんでした。
 

ほんとにデキルカナー(・▽・;)
 
 
 

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