MARC PANTHER

Globe-Trotters Journal

OCHIEYE‘S PRESS No.26 現代語訳学問のすすめ 齋藤孝=約

毎度、落合商店です。

今週も落合商店独自の目線で街を見る『OCHIEYE’S PRESS』をアップします。
 
 
まだまだ少し残るやる気が起こらない症状。
「もうこれは暑さのせいだな。」
と開き直ることにした。
 
  
考え込んでも仕方ない。
余計にドツボにはまるだけだ。
 
 
こんな時は本を読み漁るに限る。
 
 
と思い近所の書店へ。
 
 
そこで見つけたのがこの本。
 
 

 
 
皆さんご存知、福沢諭吉はあの有名な
「天は人の上に人を造らず、人の上の人を造らず」と伝えた。
 
 
実は私の実家は、この福沢諭吉が中津藩で過ごした
福沢旧邸とすぐは近く徒歩数十秒と近く、歴史上の偉人にも関わらず
幼少の頃は身近な存在に感じていた。
 

しかし恥ずかしいことに、この『学問にすすめ』を一度も読んだことはなかった。

タイトルからして堅苦しそうで難しそうで。
そもそも勉強が嫌いな少年時代で、勉強に意味を見出さなかったのである。 
 
 
 
「天は人の上に人を造らず、人の上の人を造らず」
 
人間は皆生まれながらに平等なのだ。と約40年間思い込んでいた。
 
 
ところが、そういうことを言いたかった訳ではないようで…。
 
知っている方は知っている、この有名な一文には実は続きがあり。
 
 
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」
 
云えり…?
 
 
こう続く。
 
「されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかな人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。
されば前にも云える通り、人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。唯学問を勤め物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。」 
 
 
要は皆平等と言われているが…賢い人、愚かな人、貧しい人、豊かな人、貴人もいるのが現実。
勉学をする人は立場も良く生活が豊かになり、逆に勉強しない人は貧乏になる。
 

というような。
 
確かに生きる権利は皆平等にある。
選挙権を持つ18歳以上の成人も平等に1人票の選挙権がある。(行使するしないは別として)
 
 
ただ、それぞれの人生は勉学をするしないによって良くもなり悪くもなるという。 
 
 
この続きの真の意味を少年時代の自分に言い聞かせたい。
けれど、聞かされたところで意味が解らなかったと思う。
 
 
田舎だったということを言い訳にするのもどうかと思うが、田舎の分、都会と違い
学問によって豊かな生活している大人がいたとは思えない。
そのような企業がなかったのだ。
 
 
やはり環境とは大事なもので、自分も確かな最新の多くの情報を手に入れて
娘たちにしっかりとした道しるべを示したいと思う。
 
 
そう思い、いつかは『学問のすすめ』を読もうと思っていた。
 
 
そのタイミングで見つけたこの1冊。
さらに個人的に齋藤孝氏の書く本は好きなので迷わず手にした。
 
 
まだ最後まで読んではいないのだが、今の自分の価値観、求めているものにマッチした。 
 
 
おそらく少年時代の自分にはおバカすぎて刺さらなかっただろう。
 

当時の福沢諭吉が伝えたかったことと、これから続く『風の時代』に絶妙に当てはまる気がする。
 
 
当時から国民は独立をするべきと説いたり。
 
 
そして政府が愚かなのは、国民が愚かだからだとも説く。
 
 
政治家にとって、国民は無知な方が良い。
その方が楽に扱える。
 
 
昨今の政治に不満を持つ我々国民は、不満は一丁前に言うが
しっかりと勉強をしているだろうか。
 
 
明治に福沢諭吉が説いた内容と令和の今、何かリンクして
これからを生きるヒントになるかもしれない。

 

  
 

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