MARC PANTHER

Globe-Trotters Journal

気になる?他人の目👀

こんにちは!
 
土曜日担当、心理学をベースに【脳と心】についてお伝えしているLunaです☺︎
 
🌏🌱
 
みなさんは、他人の目ってどのくらい気になりますか?
 
・容姿やファッションなどの見た目
・自分の意見や発言
・どんな職業や趣味を持っているか
・どんなコミュニティに属しているか
・SNSの発信内容など‥
 
大なり小なり(どう見られているかな?)(こう思われたい)と気になるものですよね。
 
だけど、気にしすぎていたら不自由だし、全く気にせず生きていくのはよっぽど開き直らないと難しそうです。
 
 
よく、「自分が気にしているほど他人は自分に興味ない」と言われますが、人前に出る機会などがあれば、そんなシンプルな話では片付けられない時もありますよね🤔
 
緊張で固まってしまったり、失敗したらどうしようと怖くなることもあると思います。
 
 
気にしすぎて自意識過剰になるのも疲れるけれど、気にしないわけにもいかない‥
 
今回は、そんな内容を紐解いてみました💁
 
 
 


 
<他者視点ありきで育つ日本人👁️>
 
日本語には、”他者視点ありきの言葉”がとても多いそうです。
 
☑︎恥ずかしい
☑︎みっともない
☑︎迷惑をかける
☑︎空気を読む
☑︎察する
☑︎気まずい
☑︎浮く(目立つ)
☑︎申し訳ない
☑︎顔向けができない
 
などなど‥。
 
 
中でも”恥”はなかなか扱いが難しい感情で、さらに日本はしばしば”恥の文化”と言われているとのこと🧐
 
歴史・社会・教育などいろんな理由から【ルールを守り、調和を保つこと】が最優先されてきた結果、
 
▪︎目立ちすぎないこと
▪︎社会的規範から逸脱しないこと
▪︎他者を不快にさせない、迷惑をかけないこと
 
が美徳とされ、
「和を乱さないことが大事=乱すことは恥」という共通概念が育っているらしいです。
同調圧力という言葉も、ここから生まれていそうですよね🚫
 
 
露出度高めのファッションに抵抗がある人が多いのも、日本人には「控えめが美徳」という”なんとなくの共通概念”があり、(露出=恥ずかしい)という暗黙のイメージにつながっているようです。
 
 
協調性があるという良い面もありますが、他者視点が生きる基準になってしまっては、自分の軸を外側に明け渡していることになり、自分らしい選択や人生を送ることが難しくなりそうです🥲
 
 
 


 
<恥と恐れの交差点🚥>
 
また、日本語には『出る杭は打たれる』『長いものには巻かれろ』ということわざがあるように、
【ルールを守り、調和を保つこと】
から外れることは、無意識に
「社会的孤立=生存の危機への恐れ」
につながっています。
 
教育やしつけの場面でも
「恥ずかしい/みっともないからやめて」
「みんな見てるよ」
「周りの人に迷惑がかかるから」
 
など、”恥を避けること”が重要とされ、他人の目を前提とした在り方が育てられています。
子供にとっては、親に逆らうことはまさに「生存の危機」であり、ますます”他者視点ありき”の意識が強くなってしまいます。
 
 
もちろんこれによって守られる面も大いにあるのですが、その学びや経験から、人生の可能性が狭められてしまうのはとてももったいないですよね🤔
 
 
 


 
<他者視点をゆるめ、自分軸を基準に💐>
 
どんな感情もそうですが、感情は私たちが生物として生き残るための手段です。
 
例えば ”恥”がなく、すっぽんぽんで街を歩いていたら秩序が保たれないし、”恐れ”がないと無法状態になってしまいそうです。
 
 
ということは、他人の目を気にする感覚をほどほどにしながら、自分軸を基準に生きられたらちょうど良さそうですね✨
 

ここからは、そのためのアイデアを3つご紹介します。
 
……………………………………
 
1️⃣欧米の感覚を参考にしてみる💡
特にアメリカでは、
「自分の心に従いなさい。」
という”自尊心”中心の教育が多いそう。
 
他者からどう見られるかよりも、自分の内面の良心やモラルが大事とのこと。
(もしかしたら日本でも、若い方には浸透している感覚かもしれません!)
 
自分に誠実かどうか、嘘がないかという点は、基準を自分に戻すための大切な指針になりそうです。
 
……………………………………
 
2️⃣恐れを直視してみる💡
よくある例えで、
「ギャ〜!蛇〜🐍!!‥と思ったけどよく見たら紐でした(チャンチャン♪)」
みたいな話があるように、他人の目という”恐れ”も、直視すると「生存の危機」ではないことがわかります。
 
他人の目を気にすることで、
▪︎具体的に、誰に何を言われそう?
▪︎どう思われそう?
▪︎自分だったらどう思う?ジャッジする?批判する??
 
などなど、一通りイメージしてみて
(え‥でもこれって妄想で事実ではないよな‥?自分はそう予想したけど、人がどう思うかなんてわからないし、確認しようがないよね?)
とツッコんでみます。
 
それが自分にとってどのくらいのリスクなのか、どんな影響があるのかを冷静に分析してみると、他人の目どうこうを越えた、本来の目的に立ち戻れるはずです💪
 
 
🔸こちらの記事の「それってホンマ?」作戦もおすすめ🔸
 
……………………………………
 
3️⃣第三者視点を持つ💡
これは、自分と他者を含めた俯瞰視点を持ってみるという、ちょっと上級テクニックです💡
 
「個」の視点ではなく、「場」の視点を持つ‥
例えるなら、人間の目からドローンのカメラに変換して、場面を他人事のように捉えるイメージです。
 
そうすると、「自分がどう思われるか」「相手がどう思うか」の二つの視点から、「この場がどうなるか」という第三の視点が生まれます。
 
例えば、ファッションだったら
「特定の誰かにどう見られるか」
ではなく
「この場の雰囲気に合うかな」と、
 
人前で話す場面では
「緊張するから参加者はじゃがいもだと思おう‥」
から
「この場の空気がリラックスする雰囲気になればいいな」
 
と、自分を含めた広い視点で、本質的な目的を見据えることができます✨
 
 
そして、”他人の目を気にする自分”から抜けることで、たとえ誰かに何かを言われたとしても、心のダメージが減りますヨ👍
 
 
 


 
<まとめ>
 
✅日本人は”他者視点”を意識するように育っている
 
✅他人の目を気にするのは”恥”や”恐れ”があるけれど、感情は生き残りの手段。しょ〜がない!
 
✅他者視点と自分軸のちょうど良いところを探そう
 
✅第三の視点を持てたら、”他人の目を気にする自分”から抜けることもできる💪
 
……………………………………
 
 
他人の目を気にしすぎて自由な発言や新しい挑戦がができないのは、人生の可能性を狭めていることにも繋がりますし、なにより、のびやかに生きられない感覚があります💔
 
だけど、気にしてしまうということは、過去の傷つき体験から自分を守っているという理由もあるのですよね。
(人間社会は複雑です‥みなさん本当にお疲れさま🙏)
 
 
そして、『他人』にもいろんな人がいるもの。
人を評価したがる人や、見下したり人前で相手に恥をかかせる言動をする人ほど、その人自身も強烈な恥やコンプレックスを抱えていたりします。
 
 
「他者がどう評価するか」が感情と行動を左右しやすいけれど、気にしすぎてはあまりにも不自由です。
 
他人からどう見られるか=外側ありき
よりも、
自分がどう在るか=内側基準
で、可能性を開いていきたいものですね🌹
 
 
 
今回もお読みいただき、ありがとうございました✨
 
Luna☺︎ 
 

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自己紹介:心のことを伝えます【Luna】

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